私達が育った頃は食糧難の時代で、田舎の長男は中学を卒業すると家の農業に就きました。
当時は遊ぶ所もなく、農作業も手作業が大半で早朝から夜遅くまで両親と一緒に働きました。
成人式を前に、母から式に出る背広を作ってあげるからと言われ町の洋服店へ行きました。
寸法を取り、その一週間後に仮縫いが出来あがり、試着で再び訪れました。
バスで片道40分係り、その日は親父も村の寄り合いで留守。
「満、今日は時間があるから少し休んでいこうよ」
と言われ、母の後ろから付いて行くと貸席の看板があるお店に入りました。
一階で母がお金を払うとお二階へ、案内されました。
お部屋を開けるとお布団が敷いてあり、母は入るなり着ているものを脱ぎ始め、
「満も脱ぎなさいよ」
と声をかけられました。
陰毛が生えている裸体を異性にましてや母にと躊躇していると、母がパンツを剥ぎ盗りました。
「満、お祝いよ、お母さんとじゃいやなの?」
と聞きながら、お布団の上で仰向けになった母が両脚を開き、私に覆い被さるように手招きしました。
私が母の股間をじっと見ていると母は「ここから満が産まれたのよ、オチンチンを入れる所よ」と言い、母の軟らかい手で導き招かれ、奥深く挿入しました。
「満、初めてなのね?」
「ウーン!」
生温かく気持ちがよく、直ぐに精液を母の中へ出しました。
母は両脚を絡めたまま両手で私を抱きしめ、
「満・・・気持ち良かった?・・もっとしたい・・?」
と問うてきました。
私は「お母さん」と大声を出し、下から母にしがみ付きました。
その時です。隣りとの境の襖が開き、全身刺青の中年の大男が、
「親子でおまんこしているのか」
と仁王立ち。
その横に可愛い若い女の子が笑って此方を見ていました。
私達は突然の事で怖くて身を固めていると、
「お母さん頑張れや、いい体してるな」
と男が近寄ってきて「坊主、見てろ!」と言い放ちました。
そして、私を払いのけ身を捩って抵抗する母を押さえつけ、特大サイズのチンポをおまんこの中へ挿入しました。
最初は無表情だった母も男にディープキスをされ、手で左右の乳首を交互に指で挟んでは揉み、それに激しいピストン運動の三所責めに、
「あーすごい・・あん・・あっあっ・・だめ・・あーいや~ん・・逝っちゃうわ・・」
母は可愛い喘ぎ声で僕も興奮し、チンポが知らずしらずに天を仰いでいました。
男は「お母さん、気持ちいいか・・、俺もいくぞー」
「いやーん・・いいわ・・もっと突いて・・あ~ん・・いい・・もっと強く突き上げて・・・」
と夢遊病者のような目つきで言い放したと同時に母は失神したのです。
男は母からチンポを抜き去ると、迸る精液がお布団の上に点々と落ち毀れました。
「坊主、お母さんは良く締まるいいおまんこしているぞ」
と私に言い、隣で見ていた女の子を手招きし、母の股間をテッシュで拭かせました。
男は母の隣りに横たわると女の子は男の特大サイズのチンポを舐め始めました。
暫くすると母が目覚めました。
母は状況判断が出来ずにいると、男は母のお口にチンポを刺し込みました。
「うー、ウーン」
あまりの大きさに手で触り舌先で舐めていると、男は母の股間を大股開きにして指でおまんこを弄り始めました。
母が時々、「あーん、あーーん」と声を出し始めると、男は「入れてほしいのか、誰の何処に」と問い詰め、母が「加代子のおまんこにお願い」と発するまで挿入しませんでした。
横になった母の背後から、同じく横向きになった男が、その片脚をすくい取って上げさせて挿入しました。
特大サイズの男根が母のおまんこを押し広げ出し入れする姿が異様に感じました。
5分ほどで男は射精をもよおすと、チンポをおまんこから抜き去り母のお口の中へ挿し込みました。
射精し終わった後、男と母はデイプキスをし、交互に精液を舌で舐め送り返していました。
2時間ほどの初体験は強烈で今でも忘れる事ができません。
親父が亡くなった後、年老いた母にあの時は怖かったねと話すと、母はあなたやお父さんには内緒にしていたけどその後も何度か逢ったわよと言い、驚きました。
その時は40歳だった男はヤクザの組長になり、いい人だったわよ、女の悦びを教えて貰った人よ、良いおまんこと褒めていたわよと母は嬉しそうに話をしました。
その時に居た女の子の事を聞くと、男には彼女が5人程いて、40代の女性からあの子は一番若く、当時は高校二年生だったのと母は答えていました。
その母も二年前に亡くなりましたが、亡くなるまで人には言えない事で色々、お世話になっていました。